おはようございます、キズナキャスト小林です。
今日ムスメが、結愛ちゃんと同じ5歳になります。同じ年齢ということもあり、どうしてもこのことが頭をよぎり、素直にムスメの誕生日を祝う気がしないので、この事について考えたことをシェアします。
覚えたてのひらがなで、「ゆるして」と何度も何度も書いた手紙。そして、どんなに暴力を受けながらも、両親に認めてもらいたい、褒めてもらいたい、という、子が親を想う純粋で、健気な想いを想像すると、心が何かにギューっと握りつぶされるような、そして、ぐちゃぐちゃにされるような感じでいたたまれなくなります。。。これは、わたしのように同世代の子どもを持つ親だけでなく、多くの方がきっと同じ感情を持たれていると思います。
では、どうすればこのような虐待がなくすことができるのか?
それは、本質的な問題を無くしていかなければならない、と考えます。
今回の事件の真犯人は、本当に父親でしょうか?
彼が、特殊であって、この父親だけ排除すれば問題は解決するのでしょうか?
本質的な課題の答えがここにあるのであれば、その課題を解決すれば、問題は解決できるはずです。
しかし、この父親だけを排除しても、世の中の虐待がなくならないことは誰でも分かるはずです。つまり、この父親だけが問題ではない、ということです。
では、真犯人は、その虐待を止められなかった母親でしょうか?
「あんたがちゃんとしないから、わたしが怒られる」みたいなコメントを新聞で見ました。つまり、母親も父親からDVを受けていた、ということです。ということは、母親は、自分を守るために、子どもにその矛先を向けていた、ということ。普通の親では考えられないかもしれませんが、生命の本能として、「自分を守る」ということは否定できません。むしろ、そのような状況になってしまっていた、ということの方が根本原因と考えるべきです。
だとしたら、やっぱり、父親が、根本原因か??
ぼくは、この虐待が、「日常的」に行われていた、という点が重要なポイントだと感じました。
つまり、そこから、根本原因は2つ考えられます。
1つは、父親が育ってきた環境。
もう1つは、父親の日常の環境。
この2つのうちどちらか、もしくはその両方が、彼を作り上げた、という事です。
彼が、もし愛情たっぷりの家庭で育っていたとしたら??
きっと、日常的な虐待にはならなかったと思いませんか?
だとすると、彼の両親、またその時の社会環境などが、その本質的な根本原因と言えます。
しかし、もしこれが根本原因だとしても、今からは過去に遡ることができないので、打ち手は限られます。
では、もう1つ考えられる彼の日常環境。
もし、彼が日々過ごしている環境で、彼自身の存在が認められ、自己存在肯定の意識がキチンと持てていたとしたら?
毎日がハッピーな日々を過ごすことができたとしたら??
今回のような日常的虐待にはならなかったと思いませんか?
そう考えると、彼の所属していたコミュニティの問題、直接の上司の問題、同僚の問題、そしてそのリーダーの問題、が根本原因として考えられます。
肉体的暴力は、流石に今の世の中では、あまりないとは思いますが、言葉の暴力などのパワハラ、過度なプレッシャーやストレスが、そのハケ口として家庭が標的になっていった。さらに一番弱い部分の子どもに向かっていた、というのは十分考えられます。
そして、もしこれが本質的な問題ならば、これなら現在進行形の問題なので、職場環境の改善など、手の打ちようがありそうです。
しかし、ここでもう一歩深く考える必要があります。
では、そのコミュニティでの諸々問題の根本原因は何か?という事です。もし、中の問題だけなのであれば、その中を正せば解決するはずです。しかし、もしその根本原因が外にあるとしたら? 中だけ解決しても、また同じ事が後々起こり得ます。
実際、例えば企業でいえば、社長や上司の人間的な資質に問題があるケースも多々あると思います。それは内部の問題として、簡単ではないにせよ解決の施策はいくつもあります。これが中の問題解決です。
もう1つは、その会社の根本原因として、顧客や株主、そして社会からの過度要求が、本人に直接でなかったとしても、例えば社長に対して発生していたとすれば、最終的にその矛先が経営幹部に向かい、結果的にそこで働くすべての従業員に向かっても不思議ではありません。
そう考えると、やはりコミュニティの中だけの問題ではなさそうです。
顧客の問題、株主の問題、社会の問題。。。
では、顧客とは誰なのか?
株主とは誰なのか?
社会とは誰なのか?
それって誰?
もしかして、それって。。。
そうか。。。
それは、私自身だ。。。
自分が、今回の事件の真犯人の一人だったのか。。。
もしかして、私が、どこかのお店でぶつけた「怒り」が、その店員から、その家族に向かい、その子どもに向かい、虐待が起こっていたかもしれない。
もしかして、私が、社内でぶつけた「怒り」が、その社員の家族に向かい、その子どもに向かい、虐待が起こっていたかもしれない。
もしかして、私が、株主としてぶつけた「怒り」が、その会社の社長を不安にし、社内を不安にし、その会社の社員の家庭の中での虐待に繋がっていたかもしれない。
。。。
。。。恐るべき『感情連鎖の法則』。。。
でも、だとすれば、その根本原因である自分が変わることで、本質的な解決できる。
自分が変わることで、いつかこのような虐待をなくす事ができる。
次から、コンビニで何かを買ったら、ちゃんとお店の人に笑顔で感謝の気持ちを伝えよう。
次から、飲食店で何かを食べたら、お店の方に、ちゃんと笑顔で感謝の気持ちを伝えよう。
次から、会社で何かを頼んだら、その担当の方に、ちゃんと笑顔で感謝の気持ちを伝えよう。
「ありがとう!あなたのおかげで、あなたがいてくれたから、本当に助かっています!」
もしかして、その一言が、その職場の空気を和らげられるかもしれない。
もしかして、その一言が、その日帰ってからの家庭での時間を、穏やかで、幸せなものにするかもしれない。
そして、もしかしたら、その一言が、その日の虐待をなくすかもしれない。
私が日々、お会いする人一人一人に、相手の存在を認め、感謝の気持ちを伝えることで、社会がほんの少しだけ良くなる。
そして、いつか社会全体が、笑顔と感謝で包まれ、家庭が笑顔と感謝で包まれたら。
きっと、その時には、虐待なんか起こらない世界になっている。
娘の誕生日の今日、私はまず妻に感謝しよう。
私に子どもを持つ、という経験をさせてくれたことに。
そして、生れてきてくれた息子と娘に感謝しよう。
今日まで生きてきてくれた事、そして、沢山の経験と学びと気づきを与えてくれたことに。
そして、結愛ちゃんのご両親にも感謝しよう。
虐待は決して許される事ではありません。でも、この事件を通じて、決して虐待は他人ごとではないという、自分ごとの視点に気付かせてくれたことに。
そして、結愛ちゃんに感謝しよう。
あなたが命を賭けて、子が親を思う純粋でひたむきな深い愛を教えてくれたことに。
結愛ちゃん、あなたは大切な事を気付かせてくれた女の子として、私の中で生き続けます。
結愛ちゃん、生れてきてくれて本当にありがとう。
そして、私は改めて誓います。
働く人すべてが、いきいき!わくわく!する社会を創ることに命を賭けることを。
結愛ちゃんのご冥福をお祈りするとともに。
そして、共に『いきいき!わくわく!働ける未来』へ。
以上、キズナキャスト小林でした。
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①世の中の出来事の一端を自分も必ず担っている、という意識が大切。
②自分が変わることで、世の中は必ず変わる。
③私たち一人ひとりは、微力かもしれないが、決して無力でなない。(by テラ・ルネッサンス鬼丸氏)
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