前回は、「『本質』は未来への道しるべ」と題して、指示命令型競争社会から自立型共創社会への大変化が進んでいる時代の大転換点の今だからこそ、物事の「本質」を捉えることが、次世代にも続く企業や事業を創り出すことができる、というお話をしてきました。
そこで、この「本質」を誰でも簡単に捉えられるように、その考え方をシェアしたいと思います。
ちなみに、この「本質」という言葉は、一般的にもよく使われていますが、よく会議の現場で気になるのは、みんなが同じ視点でこの「本質」を捉えていないケースが多々ありますよね?
そこで、なぜこの「本質」という言葉がしばしば会議の中で噛み合わなくなってしまうのか、そもそも「本質」とは何か? について、もう少し整理しておきたいと思います。そのあとに、「本質」を捉える思考法についてお伝え致します。
「本質」をgoogleで検索すると以下のように記述があります。
「本質」とは・・・そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素。
つまり、本質とは「扇の要」のようなもの、と私は捉えました。「要」がなくなってしまうと、「扇」としての体裁は保てなくなります。つまり、この「要」こそが、「扇を扇として存在させるための、最も大事な根本の要素」と言えます。
概念としての「本質」は理解できたと思いますが、しかしながら、現実ではなぜかそれほどシンプルではありません。
「要」とは1つの扇に対して1つしかありませんから、そもそも話が噛み合わない、というのは不思議な話です。また、よく会議の中では、「より本質的な」という言葉も使われます。扇にとって「要よりももっと要」というのは、日本語としても不自然です。
実はここにこの「本質」という概念の難しさがあります。
そして、先ほどのgoogleの説明には、この部分が不足しているのです。
それは、人それぞれ見ている「扇」、つまり「全体の定義」が違う、ということです。
例えば、「仕事の本質は何か?」という問いを参考に考えてみたいと思います。
仮に、あなたは飲食店経営をする会社の経理部の一員だとします。もしあなたに「仕事の本質は何か?」と問われたらなんて答えるでしょうか? 先を読み進める前に、ここで少しだけ自分なりの答えを考えてから読み進めていただければと思います。
さて、あなたはどんな答えを導き出されましたでしょうか?
では、ここからは、いくつもの「本質」が出てくることを理解していただこうと思います。きっと話が噛み合わない理由が見えてくると思います。
まず、多くの方がされると思いますが、扇を自分自身と定義したケースです。この状態において、自分自身にとっての「仕事の本質」とは何でしょうか?
「本質」とは、「欠くことのできない、最も大事な根本の性質・要素」ですから、これがなくなったら仕事をする意味がない、もしくは、まさに仕事とはこういうもの、という性質、というものです。例えば、以下のような答えが返ってくるかもしれません。
「給料を稼ぐため」「喰うため」「生活をするため」「結婚相手を探すため」「生きるため」・・・
「上司の指示に従うこと」「我慢すること」・・・
「スキルアップ」「自己実現」・・・
「会社への貢献」「社会への貢献」・・・
全体の定義を「自分自身」とした場合、「人」という存在自体が多様なので、上記のように人それぞれ多くの答えが考えられます。
もちろんそれぞれがその人にとっての「本質(欠くことのできない、最も大事な根本の性質・要素)」でしょうから、他人が否定することはできませんし、ある意味その人にとっては「仕事の本質」であることは間違いとは言えません。しかし、「仕事の本質は何か?」という元々の問いに対する答えとしては、表面的な答えと言わざるを得ません。
では今度は、扇を自分が務めている会社と捉えたイメージです。会社全体から見た、「経理」という「仕事」の本質を考えてみましょう。
「正確に入力すること」「ミスをしないこと」・・・
「社会のルールを守ること」「正しく申告し、国民の責任としての納税をきちんとすること」・・・
「会社の社会的信頼性の向上」・・・
上記は、それぞれ表現は違いますが、経理という仕事を通じて、会社の社会的信頼性を高める、という意味においては共通性を感じます。つまり、それが経理の仕事の本質と言えそうです。ただ、これも「経理の仕事の本質」であって、「仕事の本質は何か?」という問いからするとやはり限定的な答えと言えます。
最後に、扇を社会全体と捉えた視点から見た「仕事」の本質について考えてみます。自分の仕事は経理かもしれませんが、社会全体に対して捉えると以下のような回答になるかもしれません。
「人々に食を通じて笑顔を増やすために、会社の信頼度を高めること」
「大切なコミュニケーションの場の提供するために、会社の社会的信用度を高めること」
「人生で最も記憶に残る時間の演出するために、国民としての責任を果たすこと」・・・
このレイヤーで全体を定義して見えてくるのは、あなたの仕事は「経理」かもしれませんが、あなたがこの仕事をきちんと行うことで、会社の他の部署の方々は、それぞれの自分の仕事に集中することができます。結果として、会社としては、より多くのお客様に、より大きな喜びを、長期間にわたって提供しづつけることができるわけです。
つまり、やっているのは「経理」でも、それは「人々に食を通じて笑顔を増やす」ための仕事、と言うことが見えてきます。
如何でしょうか? ①②③とも、それぞれ導き出された答えは、それぞれで定義された「全体」に対しては、「本質(欠くことのできない、最も大事な根本の性質・要素)」だと感じませんか?
でも、それぞれ見ている視点が異なりますので、もしこの3人が同じ会議の場で、共通認識を持たないまま議論すると、全く噛み合いません。こうなってしまうと、ある時はお互いに敵意を感じてしまうかもしれませんし、ある時は無力感を感じてしまうかもしれません。でも、突き詰めて考えると、単に見ている視点、捉えている「全体の定義」が違うだけ、と言うことに気づけると思います。
また、「仕事の本質とは何か?」という「より本質的」な視点で捉えると、①より②、②より③の方がより「本質的」な答えだと感じませんか?
つまり、ここまでの話から以下の3つが見えてきます。
では、「より本質的」な答えを導くためには、「全体」をどこまで広げて考えればよいのでしょうか? 私は、見るべき物事にもよりますが、またちょっと極端だと感じるかもしれませんが、以下の視点で視野を広げるように意識しています。
自分 < 会社 < 業界 < 日本 < 世界 < 人類 < 生命 < 地球 < 宇宙
より大きな全体から導き出された「より本質的」な答えは、「原理」と呼んでもよいものかもしれません。また、宇宙全体を捉えたところから見た「より本質的」な答えは、この世の絶対の「真理」と呼んでもよいかもしれません。
しかし、これらの言葉は、定義の上ではこのように言えるかもしれませんが、現実的にそこにたどり着くのはほぼ不可能です。
なぜならば、宇宙そのものは、もしかしたらいま私たちのいる宇宙以外にも複数あるかもしれませんし、そう考えるといまの宇宙の中では「真理」と言えるかもしれませんが、よりもっと大きな全体像(複数の宇宙も含む全体)から捉えると、もっと上位の概念が出てくるかもしれません。
そう考えると、その時点でそれはもう「真理」とは言えず、単なる「より本質的」な答えでしかなくなるわけです。
ちょっと論理が飛躍しちゃったかもしれません。話を元に戻して、「本質」について、googleの説明を私的に定義しなおすと以下のようになります。
そして、より大きな全体から捉えた「本質」は、「原理」と呼べそうだ。
「原理」はより根本的な性質・要素であるので、それを満たすために守るべきルールを「原則」と言ってもいいかもしれない。
したがって、私の中では、「本質」、「原理」、「原則」は繋がっている概念になります。
そして、ここに私がこだわる理由は、前回もチラとお伝えしましたが、それは今が時代の大転換期にある、というのがその理由です。
ドラッカーは「転換期にあって重要なことは、変わらざるもの、すなわち基本と原則を確認すること」と言いました。私はまさにこの「変わらざるもの」を確認するために、「本質」、そして「原理」「原則」に強い関心を寄せています。
したがって、今の時代において見るべきは、できるだけ大きな全体を定義したところから導き出される「より本質的」な答えです。なぜならば、それが最も変わらないはずだからです。
人はどうしても目の前のことに意識が向きがちです。しかし、このように目線を上げ、より大きな全体を捉えることで、その物事の本来のあるべき状態を理解することができます。
今までの視点からは見えなかった物事が見えてくることがあります。そして、本来のあるべき状態を想像することができます。
あるべき状態がわかれば、取るべき意思決定は限られ、より明確になります。そして、あるべき状態になるべく意思決定をするので、失敗する可能性が減ります。
ドラッカーは「石臼に向かいながらも、丘の上を見なければならない」と言いましたが、これは私的に言うと「パソコンに向かいながらも、宇宙の果てを見なければならない」となります(笑)
では、宇宙の果てを見ながらどうすればより「本質的な」答えにたどり着けるのか、今回は5つの具体的な思考法についてお伝えします。
では、「本質」を掴むための思考法の最初の1つ目についてですが、のっけから胡散臭い感じですが、ちなみに宗教的なお話では一切ありません(笑)
実はこのお話はすでに前述でチラとお伝えしています。結論から言うと、「より大きな全体を捉えましょう」と言うことになります。
では、詳しくご説明致します。よく、「鳥の視点」を持つことで、物事を俯瞰して捉えましょう、という話は聞いたことがある方も多いと思います。また、それに対比する形で「虫の視点」を持ちましょう、という話も聞いたことがあると思います。つまり、小さな虫のようになり現場をより細かく詳細に捉えましょう、という視点です。また、「魚の視点」というのもあります。これは魚のようになって、水の流れのように、時間の流れを捉えましょう、というお話です。
私はそれをさらに超越する形で、「神の視点」を持ちましょう、とお伝えしています。
「神の視点」とは、「鳥の視点」「虫の視点」「魚の視点」を持ち、さらにそれを自由自在に操れる感覚です。つまり、時間も、空間も、自由自在に移動できる視点です。
これにより、いま目の前に起こっていることについて、近視眼的にならずに、より「本質」を掴むことができるようになります。
このような視点で思考を深めると、何が変わり、何が変わっていないのか、が見えてきます。そして、「変わっていないこと」が、「より本質的」な物事として見えてきます。
例えば、この視点で見ると、「人」は数千年単位では変わらない、と言うことが見えてきます。約2500年前に論語に書かれている内容は今でも国づくり、人の在り方としては非常に参考になりますし、孫子も今の企業経営にもいかせるくらい全く色褪せていません。
また書かれている内容を見ても、人はこの当時でも平和を望んでいますし、出世もしたいと考えています。ほとんど今と変わらないと感じます。「人の本質」は変わらずに、変わったのはテクノロジーくらいかな、と思うわけです。
では、「本質」を掴むための2つ目の思考法です。それは、「メタ化」という物事を抽象化して捉える、という思考法になります。やり方はいくつかありますが、トヨタの「なぜ?」を5回繰り返す、というのは有名です。
目の前の物事から始めて、「なぜそれが起こるのか?」と問うことで、より本質的な課題を見つけることができます。
また、目の前の出来事を列記していく、ということで物事の階層構造を確認していく方法です。あまり詳しくありませんが、KJ法もこの思考の類だと思います。
例えば、私は以前大きく生活を変えなければならない時期がありましたが、その時に「人は何のために生きているのか?」ということをしばらく考えていました。その時の思考を参考にメタ化の思考法についてお伝えできればと思います。
まず、自分の中で考えられる項目を洗い出します。
「美味しいものが食べたい」
「かっこいい洋服を着たい」
「大きな家に住みたい」
「お金持ちになりたい」
「女性にもっとモテたい」
「男友達から羨ましがられたい」
「かっこいいと思われたい」
「自由にやりたいことをやりたい」
「人から感謝されたい」
・・・
次にこれらを見て、階層構造がないかどうか見ていきます。するとこんな構造が見えてきます。
そうすると、この共通項としての上位概念などが以下のように見えてきます。
「人からよく思われたい」などの階層については、人それぞれですし、自分の中でも時期や年齢などで変わってくると思います。でも、それをまとめた「欲求を満たしたい」と捉えると、これはすべてのことに当てはまりますし、自分以外の誰にでも当てはまると言えます。
そして、当時の私はここまで整理できた時に、「そうか、人は誰しも自分の欲求を満たすために生きている。」と理解し、さらに「欲求を満たす=幸せになる」と捉え、「すべての人は幸せになるために生きている」という答えにたどり着きました。
このように、メタ化して物事を捉えていくことで、より本質的な答えにたどり着くことができます。
では、「本質」を掴むための思考法の3つ目にいきます。前の2つは少し思考法としては難しいところがありましたが、これはシンプルで、簡単、誰でもできると思います。文字通りその物事が、いつ、どのように、始まったのか、を見るという視点になります。
私たちは、出前授業で子どもたちに「仕事とは何か?」という話をする際に、この思考法を使います。
試しに、ぜひ考えてみてください。「仕事の始まり」って、いつ、どのように始まったのか?
では、一緒に考えていきましょう。きっとこんな感じではなかったかと思います。
人間には、ミラーニューロンの働きがあるので、最初からある程度の群を作っていたと予想される。そのため、その群の中から仲間を見つけるのは苦労しなかったと思われる。その仲間と狩に出かける。最初は二人きりだったかもしれない、でもそのうちすぐに三人、四人、・・・と大勢になっていく。大勢の方が、より大きな獣を捕れるということがわかってくるからだ。そしてある時大きなマンモスを捕まえ、それを群に持ち帰る。そして、群の中でその肉を分け合い、家族にも分け与えることができた。
そのマンモスを捕まえるときに、ある人間は足が速いことを活かし、ある人間は怪力を活かし、ある人間は手先の器用さを活かし、ある人間は声の大きさを活かし・・・それぞれの特徴を活かし、マンモスを無事捕まえることができたのではないか。
これが「仕事」の始まりだとすると、
仕事の本質は、仲間と力を合わせ、一人一人が各自の能力を活かし、成果を上げ、コミュニティに貢献すること。
と定義できます。
そして、ここから同時に「お金の本質」も見えてきます。「お金」の始まりは、この話に出てくる「分け与えられた肉の塊」と言えます。では、この「分け与えられた肉の塊」から見えてくる「お金の本質」とは何か?
それは、
お金の本質とは、貢献に対する感謝と期待。
と定義できませんでしょうか。つまり、今回の貢献に対する「感謝」。そして、また次も頑張って捕ってきてね、という「期待」です。
このように現代に意識を戻して「仕事」と「お金」を見てみると、この表現が今でも変わっていないことに気づきます。
このように、物事の「始まり」を考えることで、現代において複雑化してしまった物事の「本質」を捉えることができるようになります。
「本質」を掴むための思考法の4つ目は、その物事が「なくなったら」を考えることです。その物事の「本質的価値」は、現状と、その物事がなくなったときの「違い」から知ることができます。もし、そこに「違い」がなければ、その物事に本質的価値はない、と言えます。しかし、通常は何かしらの「違い」があるはずです。その「違い」そのものが、その物事が生み出している「本質的価値」と言えます。
では、先ほどの「仕事」を例に考えてみましょう。この先を読む前に、ぜひまたご自身で考えてみてください。
どのようにお考えになられましたでしょうか? では、一緒に考えていきましょう。
もし、世の中から「仕事」がなくなったらどうなるでしょうか? 全ての「仕事」がなくなる、ということですから、いまこの記事を読んでくださっている目の前のパソコンやスマホは当然なくなります。
また、電気そのものもなくなります。着ている洋服、今朝食べた食べ物、住んでいる家もなくなります・・・
こんな感じで全ての仕事がなくなると、今の便利な世界は全て消えてなくなることになります。
子どもたちへの出前授業で一番最初に聞く質問が「早く大人になって働きたい人は?」なのですが、ほとんどの子が手をあげません。そこで、このワークをした後に、「じゃぁ、みんな働きたくないみたいだから、みんなで働くのをやめちゃおう!」と言うと、みんな黙ってしまいます。
「そっか、誰かが働いてくれているから、いまのこの便利な世界が成り立っているんだ。」ということに気付けるわけです。
ちょっと脇道に逸れますが、この話をした後に、出前授業でするワークをみなさんにも2つだけやってもらおうと思います。
まず1つ目のワークです。
「あなたの最高に便利な生活は、何人の仕事で成り立っていると思いますか?」
答えはでましたでしょうか? 10人くらいだと思いますか? 50人くらいだと思いますか? 100人以上だと思いますか? 1,000人以上、1万人以上と考えた方はいらっしゃいますでしょうか?
では、答え合せをしていきましょう。
例えば、まずはいま身につけていらっしゃる上着1枚で考えてみましょう。
いまみなさんが着ている、ということはどこかのお店で購入されたのだと思います。ということは、まずそのお店で販売した方がいます。そして、それをお店に陳列された方がいます。
そのお店に陳列されている、ということはそのお店に持ってきてくれた配送業者の方がいます。配送業者に運ぶように依頼した倉庫の方がいます。倉庫に入れる前に、上着を作ってくれた方がいるはずです。作った方は、デザインをした方、生地を機械にセッティングしてくれた方、工場のラインを動かしてくれた方、などきっと複数人いるはずです。
また、材料の生地を見てみましょう。生地も工場で使えるようになるためには、生地の工場があるはずです。そこでもたくさんの人が働いてくれています。
生地も1種類ってことはないと思います。生地の種類だけ多くの工場が動いているはずです。また、糸や染料、タグ、など多くの材料が必要になるはずで、それぞれの工場があり、そこからの配送が必要になります。また、それぞれの材料の大本があるはずです。
今だと石油がメインだと思いますが、石油が地下から掘り出されて使えるようになるまでにどのくらいの人が動いていると思いますか?
またそれぞれの機械もあります。石油を掘り出すための機械、どこに埋まっているかを見つけるための機械、運ぶ機械。それぞれいくつの部品で成り立っているでしょうか?
またそれぞれの鉄やゴムの生成にも多くの人が携わっています。そして、電気やガスを作ってくれている方々、アスファルトの道路をひいてくれた方々、工場やお店の建物を建ててくれた方々・・・こんな感じでカウントしていくと如何でしょう?
ちなみに、これは上着1枚の話です。
みなさんが身につけている洋服は何点ありますか? 持ち物はいくつありますか? 今日食べた食品はいくつありますか? 普段いくつのアプリを使ってますか? これらそれぞれに働く人たちが膨大にいます。
では、もう一度お聞きします。
「あなたの最高に便利な生活は、何人の仕事で成り立っていると思いますか?」
では、2つ目のワークです。今度は逆の視点からのご質問です。
「あなたは、何人の最高に便利な生活に貢献できていると思いますか?」
これも同じように考えてみてください。一見すると例えば家族のため、同僚や上司のため、と捉えがちかもしれません。そうすると多くても20人とかかもしれません。
では、先ほどと同様に視野を広げてみていこうと思います。まず、あなたがその仕事をしてくれていることで、あなた自身とあなたの家族は生活できているわけです。ご自身のため、家族のために何かを買うはずです。例えば、先ほどの上着1枚を購入したとしましょう。そのお金は、まず販売店に入ります。その販売店を通じて、仕入先のメーカーに支払われます。仕入先のメーカーはさらに材料メーカーに支払います。このようにあなたの支払ったお金は、関係各社へどんどん支払われていきます。そして、各社は会社の利益を通じて税金を払い、国は受け取った税金を使って、道路を整備したり、義務教育を提供できます。あなたが働いて稼いだお金は、そのお金の本質に則って、あなたの「感謝」と「期待」の気持ちを、世界の隅々まで運びます。
また、当然のことながらあなたは、ご自身が働く会社を通じて、社会への貢献もされています。あなたが社長であれば、ご自身の事業を通じて、その分野の関係会社及びそこの社員の方々、エンドユーザーの方々へ貢献されているはずです。あなたが会社を起こさなければその変化や影響は起こらなかったことを考えると、その貢献度は膨大なものがあります。また、もしかしてデータ入力があなたのお仕事かもしれませんが、それはあなたの会社の事業を通じて、必ず社会に貢献できています。売上がゼロでなければ、ちゃんと買って喜んでくれている人がいるからです。
「本質」を掴むための思考法の最後は、「人の話」をよく聞く、です。
これまでの3つと少し毛色が違うと感じるかもしれませんが、意外とパワフルです。
これもよく私のセミナーや出前授業で使う例え話になりますが、あなたはボールペンを見てどんな形だと説明されますか? もしある人が「円(まる)です。」と答えたらあなたはどう思いますか?
普通に考えると??という感じだと思いますが、もしかするとその人は真上もしくは真下から見ているのかもしれません。
大切なのは、自分が今どこからボールペンを見ているか? 相手がどこからボールペンを見ているか?ということです。
例えば先ほどの「仕事」や「お金」のような物事というのは、ボールペンと違い「モノ」ではないので、見る角度を変えたり、視点をずらしたり、というのは難しいのです。
そこで今日は「本質」を掴むための4つの思考法というのをお伝えしてきたわけですが、一人の人間で「物事」について自由自在に見る視点を変えられる、というは、孔子や仏陀のようなある種の天才性を持った特殊な才能がないと難しいと思います。
そこで、私たちのような一般人が使える方法として、「他の人の話を聞く」というのがあります。これをすることで、自分とは全く違う視点からの情報を受け取ることができるため、自分では気付けなかった、見えていなかった部分を知ることができます。
なお、「他の人の話を聞く」場合には、同じ環境にいると考え方や視点が似通ってきてしまうので、できるだけ自分とは違う環境で生きてきた人の考え方を聞くことがオススメです。
そして、これはマクドナルドの現場で使われている言葉「アスーム イノセンス(assume innocence)」にも通じますが、相手には悪意はない、と信じることが大切です。
その上で、なぜこの人にはこのように見えているんだろう? どんな背景があるんだろう? もしそれが正しいとしたら、自分がいま見ている物事の「本質」はどうなるんだろう?
このように考えることで、今までとは違ったモノの見方ができるようになります。
そして、より「本質」が掴めるようになるわけです。
もう1つ大切なことがあります。それは、相手を信じるのと同じように、自分を信じるということです。あなたには、あなたにしかできない、あなたにしか見えていない視点があるかもしれません。特に会社の中、会議の最中に、他の人と違うものが見えてしまっていたとしたら・・・是非勇気を持って発言してください。あなたにしか見えていないものかもしれません。
もしかしたら、これから先の未来において、あなたのその視点から見た情報が、大きな売上につながるかもしれません。会社を危機から救うかもしれません。
でも、多くの方は、他の人と意見が違う時には、黙ってしまうことがよくあります。特に日本人においては、そういう方が多いと思います。「和を以って貴しと為す」は、決して誰かが言いたいことを我慢したり、犠牲になってのことではない、と聞いたことがあります。ちゃんとお互いが腹を割って話し合える場がある、環境がある、ということ自体が「和」であり、それそのものが「貴い」ものなのです。
是非、ご自身を信じ、仲間を信じ、勇気を持って発言し、あなただけの視点を通じて、コミュニティへ貢献し、しっかりと「感謝」と「期待」を受け取っていただきたいと思います。
以上、今回は物事の「本質」を掴むための思考法についてお伝えしてきました。
何か1つでもお役に立てるヒントや気付きがあれば幸いです。
世の中の当たり前をRe:Designし、『いきいき!わくわく!働ける未来』を創造する。
キズナキャスト小林でした。
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